「ラーバタス」および「らばた工房」公式ブログです。新作等の情報の公開と、高石ふうの痛い日誌も兼ねております。
「脳過労」の持論アモス
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はやてのようにーーー!!(何)先週も偉そうになんか語ってましたが、ここはそういう痛い場所です。ごきげんよう高石です。今週もレッツ語り!

昨夜のクロ現で、「脳過労」という言葉を知りました。これは、「スマホなどをずっと見続けてることにより、脳が処理できる情報がオーバーしてしまう」という話でした。オーバーすると、オーバーヒート対策なのか、血流が滞りずっと低出力で作業するという事になるそうです。

これ、いわゆる「なんかぼーっとしてる」「やる気が起きない」という原因じゃないかと思うのです。情報を絞ることで、脳の処理を行わせたい。また、同時に自分のレベルアップも図りたい、と。そのためには「ぼーっとするがいい」という事みたいです。

自分に当てはまる部分が多くて、自分は今後、意識的ぼーっとしていこうと思いましたよ!とりあえず電車ではスマホ見ない!余計な情報は入れない!あ、そしてこれは、まとめて画像化してみました。下にはっときます。ツイッターにも貼ったろ。

……でも「描けない時はインプット不足」ってあったじゃ……あ、そうか、インプットしても処理できてないのか。そういうことかー!おれは賢さが1上がった!

さて、新作なんですが、前にもお知らせしたとおり、コミティア合わせになりそうです。2月に出したかったなぁ……。コミケは応募しましたよ!!今年は4日開催で変則なのでどうなることやら!

でも。脳の血流コントロールを知ったアタシはもう無敵です。脳の血流マックスでお送りしていきます。

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「恥を知れ!」というストーリー性
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「恥を知れ!」って、よく映画なんかで使われるセリフ、あるじゃないですか。何気なく見てたドラマで出てきて。で、なんかこのセリフが引っかかって、考えてみました。で。最後は、これが自分にとって重要だったというコトにつながりました。来ましたよ。持論を展開しそうですよ。します。

まず、どんな時に使うか? ドラマは、私欲の為に人を裏切ったときでした。他には、敬意を払うべき相手にそれができなかったときとかでしょうか。これは、相手に「恥という事をしって、上等な人間になりなさい」とか「人としてあるべき基準の行動をしなさい」という事ですよね。

で。その「人としての基準」というのは、結局、その言った人の倫理観じゃないかなあって思ったんです。だから、その人が上質な人間なら、かなり多くのことを恥知らずの行為とみるかと……あ、でも、上質な人間であれば「世間一般のレベルに照合して」という事もできるだろうから、自分以下は何が何でもダメとはならないか。

うーむ、たとえば、満員電車の爆音ヘッドホンとか。自分は迷惑行為と思うけど、その人にとって、これは恥ずべき行為ではないわけで。また、たとえば、ゴミをそこらへんに放置していく人。これもその人にとって以下同文。なるほど。この人たちは自分から見て、下等な人間である、と、自分は思ってるのかなぁ。

だって、これらの「恥と思うレベル」をどんどん下げていくと……多分、お猿さんになっちゃうでしょ。お猿さんはごみをごみ箱に捨てられなくても多分、それが恥ずべき事と思わないものね。

んで、逆に。「人前で自分の意見を言うことを、恥ずかしいと思うな」これは、ちょっとニュアンスが違う。恥ずかしい事と「思うな」という事。さっきのは、恥ずかしい事と思えという事。

たとえば、「人前で意見を言うことが恥ずかしいと思う人」が、堂々人前で意見する人に対して「恥を知れ」とは言わないもんね。だから、恥ずかしいを「知れ」というのは、恥ずかしいことはするな、ではなく、「恥の使い方を知れ」という事なのかな。とすると、使い方を知るというのはやっぱり人として上質であれ、上等であれ、ということになるのかな……だったら使い方としては一緒か。

でもさ、この「恥ずかしいと思う事」って、どっちかっていうとその人前でしゃべるみたいな「勇気を伴う事」についてのほうはよく話されて、「その殻を打ち破るのよ!」的な説話はよく見る気がします。でも、未熟で無知な事を恥ずかしいと思え、と具体的にはあんまり言わないで、そのままダイレクトに「あの者は愚かである」と、人格否定に行ってるような気がする。

なんでか? 仮定だけど、多くの人が「未熟者を成長させる方法を知らない」からじゃないかなって。個人主義バンザイのこの時代、他者にかかわると、余計な被害を被る。自分と似たような価値観をすでに持っていて、その人と話すのは容易だし、実際楽しい。

自分も若いころは「社会に出る以上、最低限その人としてのマナー(=今日の話だと「恥を知る」という事)を身に着けておいて当たり前だ」ぐらいに思っていたこともあったし、身に着けていない者はごく少数で、切り捨ててもよい存在だ、と。

でも実際は、全然少数ではなく、自分の知ってる恥と他者の考える恥は、ずいぶん違う。はたして自分もどっちに属するのか、わかったものではない。つまり、他者の多くは、自分と価値観の違う存在であると思った方がよさそう。

ここで高石、「自分と全く違う価値観を持つ相手に、自分はこう思います、これが好きです」って伝えるのって、これ、作品作りとおなじだと気付くわけですよ。それには、どうするか。解りやすく、簡潔に、相手に伝える方法。ははぁ、自分に足りないのはそれだ。長い文章を書いて、伝えた気になってる。この本文もシカリ。

そしていつもは「じゃーこれからも!制作頑張ります!」で終わる。
でも今日は終わらない。ちゃんとおさらいしながら考える。


1:「恥を知れ」という言葉は、恥ずかしいと思うことはするな、という意味で、人としてこうありなさいよ、と伝えようとしている。

2:でも、その具体的な解決策=どうあると良いのか、的な意見はあまり見ない。これは、我々は自分の考えを、他者に伝える術に乏しいのではないか?

3:この「説明するのに難しいものを、価値観の違う相手に伝えるにはどうすればいいか?」とは、これ、自分のやってることと同じじゃないか? つまりだ。「異種カンの素晴らしさ」を、どう、読み手に伝えるか?


「よくわかんないものを人へ伝える」というところに降り立った。自分の場合は、異種カンだ。どうする……どうする……!?


あーーーー!!そうか、それが絵であり、物語なんだ。言語化できないものを、絵と、お芝居を通して、相手に投げる。わかりやすく、退屈させなければ、相手はそのシャワーを浴びてくれる。気に入らなければ離れていくが、まず体験してもらうという最初のチャンスは掴める。

つまり、「恥を知れ」とは、直接攻撃的な言語ではなく、強キャラとかの言う「こういう世界あるぜ?お前もきてみたらどうだ?」ということで。この言葉ひとつでその裏にある世界や物語を見せてるんだ。だからドラマの中で引っかかったんだ。だってそれはまさに自分のやりたいことだもの!

わたくし、その導き手になるためのスキルを、みがくべし!!
ほら!!着地きまった!!でしょ!!(か?
うん、ちゃんと、ダメなりに頭を使って書くとそれなりの結果は出るのね。

でも、いつもね。このブログは、自分の思考順に一発書きで書き残してるのね。だから、文章として一貫性が無くて、主張も主題もビュンビュン変わる。びゅんびゅーん。推敲もろくにしなくて、自分が読み返したときに、カドがとがったままの愚かしさを楽しんだりしてたんだけど、それが結局「伝えることの弱さ」になっちゃってる気がして。

今日の文章は、何回も組みなおして、書き直して、一つの流れにしてるので、2時間ほどかかってる(;゚Д゚) いつもは30分程度。絵もいれて1時間程度。

時間かかるけど、これは導き手になる為の、訓練になる。凄い人は、こういうのだって短時間で書けるはずだ。自分がそれにならなくてどうする。

がんばる。(やっぱ最後はそれか

フィードバックをしよう
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自分は果物にヨーグルトかけて食べるのがすごく好きで、毎朝食べるのです。なのでヨーグルトの消費が結構すごくて、先週ついに自家製ヨーグルト製造機を買ってしまいましたのですよ。これが奥さん、すごいのよ。出来上がりが、まじ市販のと区別つかないです。でも、どうなんでしょ、味は区別つかなくても、その栄養素的なものはどうなってるかわかりません。

さて。えっと、先々週、「本にしないカラー作品を出したい」って言ってたんですけど、3月の週末が既に2つ、親戚ネタに決定してしまいました。そして4月からのお仕事準備と。うっは、全然間に合わないじゃん……なぜに先々週は間に合うと思ったんだろう。なので、5月のコミティア用の本に取り掛からないともうダメです。なので、普通に製本モノ出します。カラーじゃないかも……。

今日は、最近というかようやく、「フィードバック」という事を考えるようになってきたってことを書きます。絵の話ね。

たとえば、ネットなどで「あ、カッコいいな」って絵を見たとするでしょ。で、自分、それを真似して描くことはするのよ。描いて、必要があればネットにあげて、でも、そこまでなのよ、あたし。描いて、それが元絵と違うのか同じなのかをあまり気にしない。描いておしまい。

そしてまた次の気になる絵が出てきて……同じことを繰り返します。これよくないんじゃないかと。実際、ずうっと、結果が出てる感じがしないんですもん。今更。

何が足りないかっていうと、そのフィードバックってやつですよ。結果がうまくいったのか。さらに、そのうまくとは「元絵に似たという事」なのか「絵的によくなった」ということなのか。とにかく、自分はそれを全然検証していない。

これ、どういうことかというと、「こういう完成にしたい」という意識が薄いんですよね。だから、完成した絵について考えないし、しっかり見ない。元絵がない場合も、最初に「こういう絵にしたい!」ってところからどれだけ離れたのか、うまくいったのかをしっかり考えない。もともとゴールがよく解ってないからね。これが問題。

で、自分の絵をしっかり見ようキャンペーンなんですが、これをカラーでやると、検証要素が増えてしまいます。なので、モノクロの方がいいかなって。今回のコミティア本も、今までよりもっと「自分はこういう本が欲しい」っていうのをよく考えて。下書き終わったら検証して。そういう本になってるかどうか、しっかり検証して、取り組んでみようと思います。

……最後に蛇足だけど。今更なんですよ。自分が、自分の描いた絵と向き合わないってのは、やっぱ怖いからなのかなぁ。実はね。知人でそういう人がいるのよ。もう10年以上絵が進化してなくて、お世辞にもうまくない。その人、上手くなりたいって割には、だれのアドバイスも聞かないの。描けてない点を指摘されると、その言い方だとか言葉じりをつかんで反論するの。だからもう誰も言わなくなって。

こないだそんなやり取りをみちゃったんです。ああ、こうなりたくないなぁって思って。でも、あれ?自分は自分の絵をしっかり見てるのかなぁ……?ってなってからの、今日の記事となりました。

大事。フィードバック。ちゃんとしていこう。うむ。
今日の絵は結構好き。