「ラーバタス」および「らばた工房」公式ブログです。新作等の情報の公開と、高石ふうの痛い日誌も兼ねております。
「恥を知れ!」というストーリー性
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「恥を知れ!」って、よく映画なんかで使われるセリフ、あるじゃないですか。何気なく見てたドラマで出てきて。で、なんかこのセリフが引っかかって、考えてみました。で。最後は、これが自分にとって重要だったというコトにつながりました。来ましたよ。持論を展開しそうですよ。します。

まず、どんな時に使うか? ドラマは、私欲の為に人を裏切ったときでした。他には、敬意を払うべき相手にそれができなかったときとかでしょうか。これは、相手に「恥という事をしって、上等な人間になりなさい」とか「人としてあるべき基準の行動をしなさい」という事ですよね。

で。その「人としての基準」というのは、結局、その言った人の倫理観じゃないかなあって思ったんです。だから、その人が上質な人間なら、かなり多くのことを恥知らずの行為とみるかと……あ、でも、上質な人間であれば「世間一般のレベルに照合して」という事もできるだろうから、自分以下は何が何でもダメとはならないか。

うーむ、たとえば、満員電車の爆音ヘッドホンとか。自分は迷惑行為と思うけど、その人にとって、これは恥ずべき行為ではないわけで。また、たとえば、ゴミをそこらへんに放置していく人。これもその人にとって以下同文。なるほど。この人たちは自分から見て、下等な人間である、と、自分は思ってるのかなぁ。

だって、これらの「恥と思うレベル」をどんどん下げていくと……多分、お猿さんになっちゃうでしょ。お猿さんはごみをごみ箱に捨てられなくても多分、それが恥ずべき事と思わないものね。

んで、逆に。「人前で自分の意見を言うことを、恥ずかしいと思うな」これは、ちょっとニュアンスが違う。恥ずかしい事と「思うな」という事。さっきのは、恥ずかしい事と思えという事。

たとえば、「人前で意見を言うことが恥ずかしいと思う人」が、堂々人前で意見する人に対して「恥を知れ」とは言わないもんね。だから、恥ずかしいを「知れ」というのは、恥ずかしいことはするな、ではなく、「恥の使い方を知れ」という事なのかな。とすると、使い方を知るというのはやっぱり人として上質であれ、上等であれ、ということになるのかな……だったら使い方としては一緒か。

でもさ、この「恥ずかしいと思う事」って、どっちかっていうとその人前でしゃべるみたいな「勇気を伴う事」についてのほうはよく話されて、「その殻を打ち破るのよ!」的な説話はよく見る気がします。でも、未熟で無知な事を恥ずかしいと思え、と具体的にはあんまり言わないで、そのままダイレクトに「あの者は愚かである」と、人格否定に行ってるような気がする。

なんでか? 仮定だけど、多くの人が「未熟者を成長させる方法を知らない」からじゃないかなって。個人主義バンザイのこの時代、他者にかかわると、余計な被害を被る。自分と似たような価値観をすでに持っていて、その人と話すのは容易だし、実際楽しい。

自分も若いころは「社会に出る以上、最低限その人としてのマナー(=今日の話だと「恥を知る」という事)を身に着けておいて当たり前だ」ぐらいに思っていたこともあったし、身に着けていない者はごく少数で、切り捨ててもよい存在だ、と。

でも実際は、全然少数ではなく、自分の知ってる恥と他者の考える恥は、ずいぶん違う。はたして自分もどっちに属するのか、わかったものではない。つまり、他者の多くは、自分と価値観の違う存在であると思った方がよさそう。

ここで高石、「自分と全く違う価値観を持つ相手に、自分はこう思います、これが好きです」って伝えるのって、これ、作品作りとおなじだと気付くわけですよ。それには、どうするか。解りやすく、簡潔に、相手に伝える方法。ははぁ、自分に足りないのはそれだ。長い文章を書いて、伝えた気になってる。この本文もシカリ。

そしていつもは「じゃーこれからも!制作頑張ります!」で終わる。
でも今日は終わらない。ちゃんとおさらいしながら考える。


1:「恥を知れ」という言葉は、恥ずかしいと思うことはするな、という意味で、人としてこうありなさいよ、と伝えようとしている。

2:でも、その具体的な解決策=どうあると良いのか、的な意見はあまり見ない。これは、我々は自分の考えを、他者に伝える術に乏しいのではないか?

3:この「説明するのに難しいものを、価値観の違う相手に伝えるにはどうすればいいか?」とは、これ、自分のやってることと同じじゃないか? つまりだ。「異種カンの素晴らしさ」を、どう、読み手に伝えるか?


「よくわかんないものを人へ伝える」というところに降り立った。自分の場合は、異種カンだ。どうする……どうする……!?


あーーーー!!そうか、それが絵であり、物語なんだ。言語化できないものを、絵と、お芝居を通して、相手に投げる。わかりやすく、退屈させなければ、相手はそのシャワーを浴びてくれる。気に入らなければ離れていくが、まず体験してもらうという最初のチャンスは掴める。

つまり、「恥を知れ」とは、直接攻撃的な言語ではなく、強キャラとかの言う「こういう世界あるぜ?お前もきてみたらどうだ?」ということで。この言葉ひとつでその裏にある世界や物語を見せてるんだ。だからドラマの中で引っかかったんだ。だってそれはまさに自分のやりたいことだもの!

わたくし、その導き手になるためのスキルを、みがくべし!!
ほら!!着地きまった!!でしょ!!(か?
うん、ちゃんと、ダメなりに頭を使って書くとそれなりの結果は出るのね。

でも、いつもね。このブログは、自分の思考順に一発書きで書き残してるのね。だから、文章として一貫性が無くて、主張も主題もビュンビュン変わる。びゅんびゅーん。推敲もろくにしなくて、自分が読み返したときに、カドがとがったままの愚かしさを楽しんだりしてたんだけど、それが結局「伝えることの弱さ」になっちゃってる気がして。

今日の文章は、何回も組みなおして、書き直して、一つの流れにしてるので、2時間ほどかかってる(;゚Д゚) いつもは30分程度。絵もいれて1時間程度。

時間かかるけど、これは導き手になる為の、訓練になる。凄い人は、こういうのだって短時間で書けるはずだ。自分がそれにならなくてどうする。

がんばる。(やっぱ最後はそれか