「ラーバタス」および「らばた工房」公式ブログですが、高石の自分ガタリばっかりです。
並行次元について
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らばたは、いわゆる「異世界」なんですが、かなり「パラレルワールド」的な印象を持っています。いきなりか。こんなことを考えていたら木曜日になってしまいました。そんな話を書きます。

パラレルワールドのただしい定義は解りませんが、自分の感覚だと「異世界」は、まったく別個の、下手したら時間の概念さえないモノのイメージで。「パラレル」は、時間の流れの存在はこの世界と同じで、我々の世界の類似品として並行に存在し、様々な物理法則も同様に適用できる、みたいな。ファミコンとiphoneではなく、iphoneのカラーバリエーション程度の差異しかない、的な、みたいな(なんだよ

この自分の認識だと、らばたはどっちかっていうとパラレルなんですけど、「異世界」って言った方が通じやすいかなと思い、異世界という言葉を使っています。で。最近、ちょっと異世界を見て来たので、記録します。え?

ここ数日、完全に独りになる時間というものがよくありまして。数年前までは当たり前だったこの時間です。独りになるとどうするか。たまったお仕事や、制作などをひとつひとつこなしていきます。そして常に考え事をしています。

そうすると、頭と目が疲れてきます。眠く無いのに、だるくなる、例のやつです。昔はこれをパブロン(お薬)で抑えてしまっていました。シーンとした部屋の中に、何時間も座っています。集中したいときは音楽も一切かけないので、ホント静かなお部屋です。時折、車の走る音が聞こえるくらい。

このエンドレス作業の中、不思議な「疲労」というか、しんしんと降り積もる「何か」が蓄積していくと、なにか、不思議なゾーンというか、自分の体が何か別のシフトに組み変わるような気がするんです。

すると、どうなるか。最近はあまりにもくだらないと思うようになって滅多に見なくなった民放のバラエティを見たくなったりします。嘘と誇張だらけのCMも、面白いなと思ったりします。ツイッターの誰かを否定してみたくなったりします。また、その否定意見と同じ意見の人を探してみたりもします。

この感覚。すごく不思議でした。すごく懐かしいようで、かと言って居心地はそれほど良くないものでした。コレをやりたいと思っている自分は、個の特性というより、そういう世界に行ってしまっている、「世界線の違い」って言えばいいのかな、考え方や、生き方のベクトルが、ある世界とはズレてしまうような感じがしました。この世界では、テレビや、スマホ、「モノ」は一緒なのに、存在意義、使い方がまったく違う。

例えば、世界Aでは、スマホは情報を仕入れるモノ。資料でしかない。Bでは、スマホはパートナー。本人の感情や生き方の元になりさえする。世界Aが続いていくと、スマホの形はどんどん地味になると思うけど、Bでは、生き物に近づくような気がする。

つまり、これが「異世界」じゃないかしらって思うんです。人間の脳は、今本当に起きていることと、夢で見ていることを区別することは出来ません。ドアの向こうに本当にライオンがいる事と、ドアの向こうにライオンが絶対いると信じ切っていることは同じです。本気で信じ切っていることが、その人にとっては紛れもないリアルで、現実。

人間の目に映ることや、そのものの意味みたいなものは、脳が決定づけるでしょ。そういう人がたくさんいたら、その人たちの集団では、文化というか、世界が構築されていくから、そういう世界として、「普通」になっちゃう。

「一点重心」が技術上で確立していて、「これ良いよね」って人がいっぱいいれば、車が4輪なのを、ひどく不思議に見える世界線だって、あると思う。事故率が8割だって「車とはそういうもの」が当たり前になる。

自分は、こう考えます。人間の思考というものは本来、無意識化でつながっているのではないかという考え方がありまして。それに乗っかって。「異世界とは、まるでひとつのある世界から、まるで幽体離脱のように枝分かれしていき、その枝の部分に共感した脳(=思考)が、そこにあつまり、世界を強固にする。」

巨大な重機(ショベルカーとか)を「モンスター」と言ったりするでしょ。でも、ある世界線では紛れもなくそれは倒すべきドラゴンだし、ある世界線ではそれは世界を守るロボだし。そういうのは、脳が決めている。パラレルワールドってそういうものなんじゃないかな。

そして、パラレルワールドが思考である以上、コツさえつかめば、行き来は可能なんだと、思うのです。

おわり。

え? おわるの?

新作まだ先ね。